石狩市議会 2022-06-16 06月16日-一般質問-02号
石狩海岸については人口200万人近くの大都市札幌の目と鼻の先に位置するほぼ手つかずの大自然として、その貴重性は国立公園レベルとも言われていますし、石狩川の治水遺産は北海道開拓の礎となっただけでなく、現代にも受け継がれており海外でも敷設例のある土木施工技術のお手本を直接見ることのできる貴重な存在です。この2件につきましては現在北海道遺産登録を目指して申請中であり、厳正な審査がなされています。
石狩海岸については人口200万人近くの大都市札幌の目と鼻の先に位置するほぼ手つかずの大自然として、その貴重性は国立公園レベルとも言われていますし、石狩川の治水遺産は北海道開拓の礎となっただけでなく、現代にも受け継がれており海外でも敷設例のある土木施工技術のお手本を直接見ることのできる貴重な存在です。この2件につきましては現在北海道遺産登録を目指して申請中であり、厳正な審査がなされています。
ここを大事にしたいと思いまして、最近では古い函館の写真なんかも展示されたりしておりますし、先日、NHKのテレビニュースでやっていたんですが、今、東京都写真美術館では、北海道開拓者が入ってきた頃の函館の写真を展示されているそうなんですね。有名な北海道の写真家で、田本 研造さんが撮った開拓の頃の写真を展示しているということなんです。
今となりましては、帯広競馬場はばん馬の活躍ができる場として開拓での活躍をほうふつさせるたくましい姿が見られる北海道開拓の歴史を今につなぐ重要な資源の一つとしての役割を担っております。 また、帯広市による単独開催後は、世界で唯一のばんえい競馬といたしまして帯広・十勝の観光施設の一つになっております。一年を通して多くの方に御来場いただいております。 以上でございます。 ○有城正憲議長 木幡裕之議員。
今となりましては、帯広競馬場はばん馬の活躍ができる場として開拓での活躍をほうふつさせるたくましい姿が見られる北海道開拓の歴史を今につなぐ重要な資源の一つとしての役割を担っております。 また、帯広市による単独開催後は、世界で唯一のばんえい競馬といたしまして帯広・十勝の観光施設の一つになっております。一年を通して多くの方に御来場いただいております。 以上でございます。 ○有城正憲議長 木幡裕之議員。
昨年、北海道総合博物館の野外博物館である北海道開拓の村に子どもと訪れましたが、動きのある展示や体験型のイベントもあり、そのときは十五夜のお月見だんごを作るイベントでございましたが、ススキや栗、ホオズキ等を採取したり、団子を丸めて蒸したりと、大人から子どもまで楽しむことができるなど、興味を持って来ていただく、また、より多くのお客さんに来ていただく工夫も感じました。
さて、本市旭川は、明治18年、北海道開拓使長官を務めた岩村通俊公が、近文山から石狩川を眺望して開拓を決め、明治23年から開村、一時期は北の都の期待が高かったわけでございますが、戦前は軍都として栄え、戦後は、北海道博覧会が開かれるなど、にぎわいを見せました。そして、昭和40年代には、近隣各町村と合併を何度か行い、一時は36万5千人を超える人口を有しました。
こうした状況のもと、北海道は、北海道庁旧本庁舎、北海道開拓の村、北海道博物館といった多くの観光客が訪れる観光施設を持っており、札幌市では、こうした北海道の観光資源との連携もしっかりと行っていくべきであります。
候補者は、北海道開拓の村や北海道博物館の指定管理者であり、これら施設の経験豊富な管理責任者が豊平館の管理運営を適宜サポートするとの提案をされております。 以上のことから、人員体制に関しましては、量的にも質的にも現状を下回ることはないというふうに考えております。 ◆ふじわら広昭 委員 次に、収支計画を含めた事業の計画について、2点質問いたします。
もはや依田勉三は帯広の開拓ではなく、北海道開拓者として扱われているのであります。 広報おびひろの1月号では、十勝・帯広で紡がれてきた開拓者精神として、米沢市長とこの春から放送される朝ドラの「なつぞら」に出演する俳優の草刈正雄さんの対談が掲載されています。
もはや依田勉三は帯広の開拓ではなく、北海道開拓者として扱われているのであります。 広報おびひろの1月号では、十勝・帯広で紡がれてきた開拓者精神として、米沢市長とこの春から放送される朝ドラの「なつぞら」に出演する俳優の草刈正雄さんの対談が掲載されています。
ご承知のとおり、札幌における本格的なまちづくりは、明治2年の北海道開拓使の設置までさかのぼりますが、その後の明治32年、札幌は、函館、小樽とともに、北海道区制が施行され、道庁による官治を脱した自治の時代に入りました。しかしながら、この札幌区と称された時代は、当時の本州府県における市町村と比べ、その自治の権限は大きく制限されていたとのことであります。
北海道開拓は、アイヌ民族の権利など全く度外視して進められたことは、1898年制定の北海道旧土人保護法に顕著であります。 アイヌの言語や生活様式・文化などは尊重されず、アイヌの土地の没収、漁業・狩猟の禁止と、給与地の付与による農耕の強制、習慣・風習の禁止、日本語使用の義務等々であります。この法律が、1997年、ついこないだ廃止されるまで続きました。
札幌市内には、北海道大学総合博物館や北海道博物館、旧北海道開拓記念館があります。私は、ほかの関係機関との連携を否定するものではありませんが、ほかの施設との連携による事業や展示をありようとすることで、札幌博物館が小さくまとまってしまい、博物館ではなく資料展示センター程度になるのではないかと危惧するものであります。
かつて道内に618カ所に存在していた駅逓所の1つで、北海道開拓の黎明期の歴史を知る貴重な遺構としてその価値が認められ、昭和59年、文化財保護法により国の史跡に指定をされ、保存修理が着工されて33年目を迎えます。市では、旧島松駅逓所の大規模改修を予定しているようでございますが、スケジュールをお聞かせください。
さらに、北海道開拓の歴史をたどりますと、開拓発展期に旧胆振線が胆振羊蹄山麓を初めとした後志との生活や経済を発展させた役割を担ってきました。
世界でたった一つのばんえい競馬は北海道開拓時代の農耕馬が現代のレースへ受け継がれ、今では北海道遺産として人々に感動を与えております。長年、帯広市を含む北海道内の自治体が共同で運営してきましたが、平成19年度から帯広市が単独運営、最近ではインターネットの影響などにより営業成績も好調であり、観光としても帯広・十勝において大きな役割を果たしております。
世界でたった一つのばんえい競馬は北海道開拓時代の農耕馬が現代のレースへ受け継がれ、今では北海道遺産として人々に感動を与えております。長年、帯広市を含む北海道内の自治体が共同で運営してきましたが、平成19年度から帯広市が単独運営、最近ではインターネットの影響などにより営業成績も好調であり、観光としても帯広・十勝において大きな役割を果たしております。
この来歴を見ますと、線路の北側の半分が仏教関係の人の墓地として、今、温水プールになっているところにもともと白石墓地がありましたが、その2番目として、北海道開拓使に願い出て、かなり時間を経て許可されてつくった。それを見て、今度は、教会の皆さんが、我々もとなって、お金を出し合い、キリスト教の皆さんだけの墓地ができました。 そして、その真ん中に幅8メートルぐらいの通路があります。
手稲は、明治5年、北海道開拓の交通の要所として開け、手稲村として創立したことに始まります。以降、小樽と石狩とを結ぶ交通の要所として、また、豊かな自然環境を背景に酪農村としても発展しました。